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地球の聲と供にある皆様へ
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〜すべては、環境の改新の為に〜
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2006年 春
地球の聲 代表 飯田克男 |
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光春の啓、皆様にはお健やかなこととお慶び申し上げます。
この春、私達、地球の聲は、当地に於いて活動6年目を迎えております。 知人なし土地なし農耕具なし資金なしのゼロよりの出発。 素志を胸に刻み "一少乃考" をむねに迎え"環境の改新"を目的に、 地球の聲は、NPO法人/支放線倶楽部代表吉開小仁氏の唱導する 「プロジェクト改新オーガニック」を推進するべく、 食料・土壌育成に鋭意取り組むでおります。 これまでの活動がありますのはひとえに皆様の篤きご声援の賜と心より御礼申し上げます。 誠に、ありがとうございます。 現在、地球規模での自然災害ばかりではなく、人心の荒廃は目にあまるものがあります。 『全ての問題の責任はひとにある。』(語録より)。 私達、地球の聲は、ひととしての責任をより自覚し、 社会公益慈業⇒公益還元/社会貢献により多くの方々と供に取り組む為に、 この度「素志畫」を現社会に発信致します。 この「素志畫」を手にされる方々が、農業を通じて社会・経済・環境問題を観つめ思考する。 ⇒"プロジェクト改新"⇒"環境の改新"に参加・参画されることを、 私達地球の聲は、心よりお待ちし、お迎え致したく存じます。 |
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『全ての子供達の未来は、今ある私達大人の取り組みにかかっている。』(語録より)
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メンバー紹介
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入植当時
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2006年 現在
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飯田克男 1964年生まれ、東京都武蔵村山市出身。 働き者の父と心やさしき母に、愛情悠泰かに育てられる。 子供の頃に大工さんに憧れ、その後、都内の大学にて建築を賢学び、 建築事務所にて実務に励む。勤めつつ一級建築士となるも建築業界の ありかた、経済優先による環境不可なる建築材の提案などに、 問題意識を抱き、自己の表現方法について見つめ直す。 改めて新たな生き方として農を志す。 1999年農業研修として栃木県南那須に移住。 2001年片山氏と供に活動を開始。現在に至る。 |
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片山広生 1968年生まれ、東京都中野区出身。 大学中退後、鋼材会社に勤務。 金型制作(cad/cam)に従事。 会社倒産後、1996年に各種複合環境問題等について 講演する支放線倶楽部(現在はNPO法人)−吉開小仁氏に 出会い深い感銘を覚え、これまでの第二次産業より 第一次産業に生きることを結意する。 1997年栃木県南那須町に移住。幾度もの挫折の後、 飯田克男氏と出会い、供に「地球の聲」を旗揚げし、 現在の活動に至る。 |
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